ヤフコメ追い出されたんで

徒然なるままに

ブルートレイン

四十年近く前の事である。当時高校生だった私は、大学受験のために俗にブルートレインと呼ばれる寝台列車で上京した。ブルートレインというのは青い車体の寝台列車の総称なのだが、私が乗ったのは佐世保駅発、東京駅着の「さくら」という愛称の列車で全道程おおよそ二十時間ぐらいだったかと記憶している。はっきりとは覚えていないが、昼間は二人掛けのシートで夜になるとそのうち一人は二段ベッドの上段に上がっていって就寝するというスタイルだったと思う。
私のベッドは下段だったのだが上段は「おばちゃん」だった。容姿や年齢に関しては「おばちゃん」だったことしか覚えていない。
就寝の時間を除いておそらく十時間ぐらいは隣り合わせで座っていたのではないだろうか。会話の内容はほとんど覚えていないが上京の目的や家族構成などきっと他愛のない話をしたのだと思う。ただ二つほど覚えていることがある。
一つは「酒を飲んでも飲まれちゃいけない。」今になって考えれば、これから受験に行く高校生を捕まえて何を言ってるんだと思うが、これはもしかしたら自戒の意味だったのかもしれない。そしてもう一つ言われたことがある。「あなたの笑顔は人を幸せにするからどんなときも笑顔を忘れてはいけない。」だった。
言われたときは特に印象に残ったわけでも感銘を受けたわけでもない。聞き流していたはずなのになぜか何十年経っても記憶に残っている。不思議である。顔も体形も声も年齢もまったく覚えていない。だがなぜだかその二つの言葉だけは覚えている。その年の私は受験に失敗して一浪したが、一年後それなりの大学には進学した。そして卒業後それなりの会社に入りそれなりの人生を送ってきた。
勿論人は長く生きれば紆余曲折はある。心臓の張り裂けるほどつらいことも何度も経験した。だがその度になぜかおばちゃんの言葉を思い出す。つらければつらいほど「あなたの笑顔は…」という言葉が頭をよぎり最早笑顔を作るのは使命ではないかと思うほどである。
しかしある時、唐突に気がついた。おばちゃんは「あなたの笑顔は人を幸せにする。」と言ってくれたが、私は笑顔を作ろうとすることによって他人ではなく自分自身を救っていたのだ。そこに気がつくまでに何十年かかったことか。
たぶんおばちゃんはそんなに深い意味で発した言葉ではなかっただろう。その言葉を受けた私もまったく深い意味には捉えていなかった。だがなぜかピンチの度、窮地に陥る度におばちゃんの言葉は私を救ってきた。そしてこれはきっとこれからも続くだろう。

とりとめのない話につきあってくれた君たちへ、たまたまこの話を読んでくれた君たちへ、今度はこの言葉がいつか君たちを救う言葉になることを願って筆を置く。

ちなみに、もうひとつおばちゃんに言われた酒に関しては全くだめだった。何度も何度も失敗した。が、その話はまたの機会に。